善に

    コントラバス奏者だけの🎄コンサートイベント。
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    <苦しむのなら、善に加担して苦しみたい>
どうしても苦しまなければならないというのならば、自分の中に住む善と悪の闘いにおいて善のほうに加担し、そこから生まれてくる苦しみに甘んじたい。自分の中に住む悪とまた別の悪の醜い戦いで苦しむよりずっとましだと思うから
    
(超訳ヴィトゲンシュタインの言葉/ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、白取春彦編訳より)

ヴィトゲンシュタインさんの言葉は、ドイツ語ではさっぱりわからない。語学力の無さが土台にあることが致命傷だけれど、それを棚に上げて言うなら、ドイツ語が私にとって、言葉の中の超感覚というのか真意がつかめないもの(=母語)じゃないからなんだと思う。残念だ…。なのでそれを日本語に訳してもらったら納得した。必死にドイツ語を勉強することを決断していない私にはそれでいい。ドイツに住むには不便でも。



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           子供の成長は嬉しいですね。
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あるむっと/貧困

「貧乏から貧困に転落してしまう人には、3つの無縁(家族との無縁、地域との無縁、制度との無援)と3つの障害(知的障害、発達障害、精神障害)という共通点がある」という記事を書かれた鈴木大介氏。同感なので、次の記事をご紹介します。下をクリック

貧困の多くは「脳のトラブル」に起因している 「見えない苦しみ」ほど過酷なものはない
(東洋経済新報社より)
 心って何だろう・・ IMG_5205.jpg

記事より・・・

脳梗塞によって軽い高次脳機能障害となってしまった僕は、買い物先のレジでの支払いができなくなってしまった。

高次脳機能障害とは、脳細胞が外的ダメージや虚血(血流が悪くなること)によって壊死してしまった結果から起きる障害で、身体のマヒなどとは別に、知覚、記憶、学習、思考、判断などの認知や情動などにトラブルが起きることを言う。

・・・・(内容をずいぶんと省略しております、原文をお読みください)・・・・・

ようやくわかった。見えない心の痛みというものが、これほどまでに具体的で、外傷などと同様に、もしくはそれ以上の痛みを人にもたらすものだということを、僕は自身が病気になるまでまったく想像できなかったのだ。

懺悔は尽きぬ。けれどここで書きたいのは、「過酷な経験は人の脳を壊す」「貧困もまた脳を壊す」「壊れた結果、人は貧困から抜け出せなくなる」という確信だ。

…中略・・・・

例えば、毎日、将来の不安におびえ、各種支払いに追い込まれ、強いプレッシャーとストレスの下にさらされた結果、脳の機能、特に認知面などに大きなトラブルを抱えてしまうからなのではないか。


これだけでも衝撃的で納得です、。障害の捉え方を早合点して誤解してはいけないし、共通点ということは正直よくわからないのだけれど、生存権と関連付けた思想なのでとても参考になります。

脳のトラブルというのは認知のゆがみでしょうか 著者鈴木氏は、様々な例であげています。こんな苦しさがあるなんて、という気づきを書くことが勇気があり素晴らしいなと思いますし、実際の取材やご自身の体験から交差したことなので触感・実感伝わる記事なのですよね。というのは、ドイツ暮らしで日ごろ考えあぐねることに重なるからです。外国暮らしで陥ることに類似しています。

例えば、ココ。
人に何かを合理的に説明しようとしても、何から話せばいいのかの順序が立てられず、声が出ない。出ない声にまごまごしているうちに、相手に言葉をかぶせられて、焦りといらだちと情けなさと悲しさがごっちゃになった、もう意味のわからないパニックになってしまう。


移民、難民など住んでいる言語を完全体得していない者には、毎日がこうなので、自信喪失・意欲減退、なんて落ち込んでいる暇もなく生活していかなければならず、だけれども相談しようにもそちらへ足は向かず、国の福祉保障や医療制度を受けることからも無縁になり、助け合うべき家族も同じなので機能しない。慣習も違い、普段の言葉(常識)が通じないので近隣とも縁なく孤立してしまう。異種コミュニティーを作られることを厭うドイツ人社会との軋轢も生まれる。

見えない苦しみほど過酷なものはない ということを制度に繋げることは、今後の課題なのでしょうね。そこを比較的健常に暮らしている者・弱者から見れば対立した強者が理解しなければいけないのだけれど、強者は強者でストレスと闘っていますし、みんないっぱいいっぱい。

現実に目に見える問題となるのは、ここからで、その結果、ストレスのある者同士がいがみ合う。そして力の強いものから弱い者へと報復が移行する。短絡的には言えないけれど普通に、虐めの構造と同じですよね・・。

極端な例ではミュンヘンの少年の無差別殺人銃乱射のように、イラン系ドイツ人少年は、ムスリム系の少年少女を狙い撃ちした。息子の虐めに気づかなかったというこの少年の両親は、毎日殺人の脅しの電話に怯えているらしい(ドイツ人遺族だったらどう対応したのかと考えてしまう。)。ヴルツブルグへの列車内の中で狙われたのは香港からの旅行者たち。弱い女・子供、比較的体格の小さなアジア人の方へ斧を向けた犯人の少年の心の弱さが見えてきます。

制度や規制が遅れていることはわかってはいるけれども、心の問題は、解決にはもっともっと何世代も時間のかかるものだと思います。そうしている間に新たなことが起きる毎日です。こう思うとドイツの難民政策は壮大な楽観思想の元に棘の道を歩むんだなとぼんやり思います。エルドガン大統領に対してデモを行うトルコ系移民のニュースにも驚くが、現状を持って失敗だの成功だの語れない政策なのですね。こうして私がつぶやいてどうなるのかと思うけれども、言いたいことは、ただ、ただ平穏な毎日に感謝するしかないなぁ(・・・でもなかなか出来ないなぁ・・・)ということなのかな。

こうげきがた


 《他人を攻撃する10の理由》 というドイツの記事を読み・・・・なるへそぉ。
 ドイツ語では、Jemand niedermachen runtermachen とか言う。
 なかなか理解できない、他人を攻撃してくる、見下して威圧してくる態度。
 ≪暮らし難くてたまらないのは、自分が強くないから≫とは言うけれど、しんどい。

トリュフ包みのラビオリ DSC_0457.jpg

Nimm nichts persönlich. Nichts was andere Leute zu dir sagen ist wegen dir, es ist wegen ihnen selbst.
— Miguel Ruiz   
メキシコのどん・みげる・るいすサンの言葉 「相手の言葉を個人的感情にとる必要はありません、あなたのせいではなく、その感情はその人自身の問題です。」

攻撃・見下してくる人にある心理。

1. Minderwertigkeitsgefühl  いわゆる・・・劣等感。
2. Mangelnde Selbstsicherheit  自尊心の欠如
3. So wie mir geschehen, soll es dir ergehen ぼくだけ不幸は嫌だ系
4. Neid   嫉妬
5. Antipathie  敵視
6. Fehlende Empathie  共感力の無さ
7. Die eigenen negativen Gefühle an anderen auslassen  悲観思想の押し付け
8. Jemand ist schuld, nur nicht ich selbst!  お前が悪い系 わたしが正しい
9. Gruppendruck     人間関係・派閥問題
10. Andere kleinmachen bzw. kleinhalten  他人を見下している
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それに対抗するには、

1. Ignorieren   無視する
2. Konfrontieren 対決する
3. Abgrenzen   立ち入って欲しくない境界を示し距離を保つ


もう・・・・長くドイツにいる人には、これらは普通~~~~の心理なのだけれど、もちろんドイツ人たちも、こういうのはストレスになるし、どうやってここを切り抜けるか、伝授されなければできなかったりするようですね。(類友です、私の周囲にはこういうドイツ人が集まっている。笑)

ただ、どうしても学ばないのは・・・・攻撃する人。自覚がないもんだから。。
私は攻撃しない、とは誰も言い切れない。100%他人を攻撃しない人はいないと思う。
攻撃の仕方も、人それぞれだから、私自身も相手をなんらかの方法で攻撃しているかも。


いくら人間は文化的になり、優しくなった なんていう現代ですが、この人間関係の摩擦は、本人が自覚していなくても、他人にはストレスになる。でも、お互い、相手の中に「不安や恐怖」があるという想像力、感情の仕組みがわかれば、その相手に優しくなれるのかな。

 小さな声で言うなら・・・・・私はドイツ人化したくないな。 
 

くらんく2016

息子が入院・絶食中、付き添った私に朝食。DSC_0428.jpg ありが・・と

有り難いことに、息子の病気は大したことはなかったのですが、栄養士さんいるのかしらん??な朝食に苦笑い。私は朝食を戴かないし、小食で食べ物にはこだわらないのですが、これはもう・・・・記録しちゃおう。
 いいじゃない、食べられるだけ~

DSC_0429.jpgドイツですね~16時間絶食だった患者にパイナップル鶏肉カレー

救急で入ったので、お医者さんはアラブ人とロシア人だけ。優秀そうな眼光で、看護師を怒鳴りつける、アラブ人で金のネックレスをチャラチャラさせて、マッチョで鍛えた上半身を見せ付けるかのようなピチピチTシャツで現れた外科医お兄ちゃんは、「ぼくの友達はアラブ人で初めて日本で医師になったんだよ。」とニコリ。

 目が笑ってないよ・・・
 切りたそう・・・

お兄ちゃんおかえり~~~~にゃん DSC_0435 (1)

のーまるもん


古い写真の整理をしています。絵になる街ですパリ。セーヌ川。石が違う、空が違う、音が違う・・・ちょっといいですか・・・、

      フランスが大好きだ~~~~!

  Sur la seine 2110 2010 Paris (249)

        Des autres gens
        Qui s'aiment si fort
        Qui s'aiment comme on dit "normalement"
        De cet enfant Tellement absent
        De ce mal du sang qui court
        Et tue si librement (”La Difference” Lara Fabian)
        
      人がいう「ふつう」って何だろう。「ちがう」って何だろう。
      歌詞には哀愁と刹那がこもっているけれど、鼻歌にいい気分向上メロディーです。       


  2110 2010 Paris (258) Bateaux

 Lara Fabianさんの歌は、叶わぬ恋とか失恋とか多いのですが、落ち込んで泣きたい時にはいい。
Je suie maladeなんて、聞いたら「私そんな不幸でもないかも」と癒えてしまうかも 笑。      

ふぇあびんどゅんぐ 1

Verbindungという言葉を何度も監督は言われるのですが、これは日本人のいう「絆」-ですね。おにぎりの好きなドリー監督は、どこにでもいそうなドイツ人像の主役がぽつんと日本という異国に立ち尽くし、日本人と交流する映画を過去何本か製作しています。登場人物らの性質描写がまた絶妙で、どっぷり両国の狭間で生きていて、揺れまくっている私には、その台詞や無言の演技が感慨深い。日本人の視線の位置というのかな、「間」も大事に撮ってくれている。ドイツ人と日本人の生き方の違い、考え方の違いをしみじみと感じる映画ばかりです。少し感傷的に、全体としてはコミカルに、そして人間観がとても優しい作品が多いのです。

監督のインタビュー

今回の作品は、心の傷は絆によって癒されるというテーマ(まとめちゃいけないか 笑)、日本人には辛いことを思い出させてしまうだろうけれど、忘れちゃいけないし、みんなにとって癒しの映画になったらいいなと監督もインタビューで答えています。監督のご主人との死別も重ねているそうです。(いや、これはインタビュアーが無理やり言わせたのかな・・・)
 
この映画で、ドリー監督は、福島の現状、核問題、震災後に忘れ去られたような人間とその模様、日本人の心の扱い方、ジェンダー、師弟関係、ドイツ人にはない日本人の心理、日本人にはないドイツ人の心理、諸行無常に心を任せる日本人のトラウマの扱い方を描いているそうです。

つづく・・・

グレーの空

BLOGの模様替えをしました。余白の白が眩しいかな。甘いタルトと苦いカフェで午後のひととき。
  IMG_20160215_220453.jpgTarte au fruit et cafeFontCandy (3) 
    
 観賞後に沈んでしまうこと(そうとらなくてもいいけれど)の多い クリントイーストウッド監督の映画。たまたま今日テレビでやっていたので、観てしまったのです(後悔)。今私は元気でないので、感傷に浸ってしまっています。
   
 「グラン・トリノ」という映画でした。人種差別、戦後の心の傷、移民問題、パラレル文化アイデンティティ問題、銃規制問題、暴力、家族、父子・・・テーマを追うだけで、クリントイーストウッドさんの頭の中の世界に共感すると同時に、心の痛さを共有して、私は参ってしまう。いや、移民について、感慨深い話でした。ネタばれするともったいないのでこれ以上書かないけれど、これは機会があれば見て欲しい、お奨めできる映画。 難民を受け入れるドイツで、他人事とは思えない映画でした。いや、私自身が移民として傷ついたり、希望を持ったりした所(悪いことばかりじゃないよ)に触れたんだと思う。

 こういう思想や文化や秩序や社会観があるにも関わらず、トランプさんの勢力は増すばかりですね・・・。アメリカという国にため息が出る。なかなか人の脳みそはマンモスを追いかけていた頃とは変わらないのかな。

ふたつめのやいば


マンガ、『暗殺教室』に出てきていて、今息子が気に入っているフレーズが、
         
       『二つ目の刃

一つのことに一生懸命になっている時に、もう一つ案を練っておく必要性。二つ目のやいばを持っていることは、勝つために必須だというストーリーでした。最近、そうだなぁ・・・と実感しています。二兎を追うものは・・・という言葉がよぎるけれど、そういう意味ではなくて、一兎を追うからこそ、その一兎を必ず仕留めるために、代替策は入念に練るということ。

日本の政治を振り返ると、じっくり練ってGOが出たものの、それが上手くいかなかったら全ての計画も神話も国民性も国家も崩壊し、もう一度練り直すには時間がかかりすぎるような策は、やばいんだなぁと。次バージョン、転換バージョン、「それでだめなら、こっちはどうだ?」の気の持ち方。なかなか難しいけれど体得すべき生きる術なんだなぁ・・・。「暗殺教室」深いなぁ。

シュロィダー元首相が、難民受け入れ問題について声明を出しました。ざっと内容をみると、EUで引き受けるべき難民問題に東欧EU諸国が参加していないことへの非難で、EUの財政問題も同等の対処をせざるを得ない(つまり、そっちがやらないなら、こっちもやることやらないぞ)という話でした。

WIN-WINの関係に持っていくために、公言して動揺させるという方法は、個人生活レベルでもよく見られる交渉で、それに慣れていない私なんて、強いことを言い合わないように画策しようと努め、でも大きい声で言われたら脅されたと捉え参ってしまうんだなぁ。交渉の舞台にも立てていない。「それがだめなら、これでどうだ?」と食い下がらない意気込みと反射力を持つことができたら強くなれるかなあ。
   
       FontCandy (4)
         うちのお嬢ちゃん、夢見る夢子さん。



 

そるげ

教え子の1人が、

「フランス語の点数が悪いから、日本語やっている場合じゃないって両親に怒られちゃった。」

なので、フランス語で励ましのメールに、エピクテトスの名言を添えて出した。

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そりゃあ、何もかもできる子なんて数少ない。1つでも不得意科目がやば~いことになったら落第や学校を転校することもあるドイツの厳しい学校生活。親も必死です。でも・・・やる時にやれない子もとっても多い。やらなきゃいけない時に、やっていない子。やればできるのに、やらない子。見ていてはがゆいけれど、その子の旬があるのかもしれないし、この子は必ずやると信じ切るのが教育というものらしい。そして子供の成長は信じられる。

エピクテトスの言葉は自分をしゃきんとさせます。東洋に通じる哲学や心の置き方に安堵する。はてはて、でもなぜ、私が目の前で見る世界は、どうしてこうならないんだろう・・・と不思議になることもある。こんなに昔から賢者が知恵を与えているのに、実践できないって・・・・人間ってなかなか学ばない生き物なんだろうね。

今 自分で、勉強中なのは、コレかな・・・・。
人間を不安にするものは物事そのものではない。物事に対する見解が人間を不安にさせる。



緑の甘いもの

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 ドイツでも喜ばれだした、抹茶味。


 緑の甘いもの、想像がつかないのでしょうね。
 ドイツ人には馴染みのない食色素。
 「げげげーーーっ」「いーーーーっ」「気持ち悪い」
 という反応を聞きすぎて、トラウマになっていたので
 ドイツ人へ向けて作る気にはなれませんでしたが、
 それも過去の話になってきました。十数年前の話。

 何でも試したがらない性格の人と
 好奇心をもって何でも試す人がいる。
 よくある汚い言葉の放出に傷つく必要も無い。
 
 当時「人の作ったものに手をつけないなんて!」
 と反応した私の中の「普通」を考えると、
 日本で教わる「礼儀として出された物は食べるもの。」という
 「日本では通じる常識」の押し付けだったとよくわかる。
 

 文化や習慣の違いって、こういう小さいことなんだけれどね。


 ここはドイツだから、ドイツ流を学べ・ドイツ文化を尊重しろと
 移民・難民に対して言っていることに、私自身は同意もするけれど
 そんな簡単なことじゃあ、ないんだぞ と思う。

 みんなで合わせて文化を作っていくという気持ちや
 相手の文化背景を尊敬する気持ちは言うが易し、行うは難し。
 少しドイツ人に近く、長く住んでいる移民の私たちが、
 和らげて歩み寄っていかなくちゃならない所なのかも。
 
 理解を求めていく第1歩が抹茶クッキー?
 そういうつもりじゃないんだけれどね・・・ 
 

Werte

  Werteとは 価値観 IMG_20151030_064625.jpg


 過激派のテロにより、難民に紛れたテロリスト、移民何世のテロリストの存在が大きく報道されています。全体数の中のこの微々たるパーセンテージのために、難民と移民が「危険」視されることは、理解ができる一方失望。

 欧州人が参っているのは、自爆という考え方。これはキリスト教徒には理解ができないそう・・・ラジオで聞いた話ですが。日本人の「万歳攻撃」を連想する私は、私の中には理解のできる何かを発見し、何だか参ってしまった。

 敵は十字軍だと言う彼らの教え、千年の時を経た恨み。その使命に自分の命を捧げる若者達が自分が爆弾となり他人を殺すという価値観。でなければ愛する者は助からないという思想。「まるでKamikaze」という例えにぐうの音も出ない。

 市民を狙う卑劣なテロの例えに日本人には憤る報道ではありますが、この「自分を殺して」という芯の部分を理解出来ない人がいるという事実がある以上、捉え方の違い、とか考え方の違い、文化の違いという話ではない。「それは人間としてやらない。」という倫理の違いなんだと思う。

 ここでは、Kamikazeは、日本人の思う神風特攻隊とは違う意味の言葉になり、ジハードもイスラム教の人たちの使う意味では使われていない。外来語を欧米人が取り入れたとき、そこの人たちの言葉になってしまう。間違って伝わる原因は様々だけれども、本物を追求しない大衆誌の堕落、レッテル張り性格、分類好きな思考回路、専門性を追求する学習姿勢・・・

 それも彼らなんだと思う。

 私に出来るのは、周囲の人に事実を語ること。よく、感情的に批判論を被せてくる人がいるので「感情論にしないで。裁定したいなら、せめて知ろうとしたら?」と静かに言えば聞いてくれるかな・・・。ただただ対話するしかないんだなぁ・・・。 
  

時事 ーぶきー


  ラジオを聴いていると、こんな話・・・・・
  「世界中で、ドイツの武器での犠牲者が多すぎる。」
  
  そうそうそう  で、
 
  「正規国以外に、どうやら武器が横流しになってる。」
  「いや、海外に出たらどんなルートでも武器を必要とする人に渡る。」

   だよ、だよ、だよ・・・   と聴いていたら

  「日本が武器を売り出した!!!! 規制しなければ!!」
 
   そこかーーーーーーーーっ

   
   こういうの・・・・  筋は正しいけれど、
   なんだか癪にさわる。(感情レベルの私の愚痴。)

   
   先頭切って稼いだら、あとは道徳的に反省して監視役なのかなぁ。
   負のスパイラルの創造主たちに言われたくないなぁ(おっと
   んで、何で追随するのかなぁ日本ーーっ   

 
   台所でプリプリしている主婦に、どうにもならないことの中で
   生きていることを思い出させてくれるラジオ。起こってしまったことはね。
   この番組も、世俗相手のテレビ映画の宣伝だったの。
   ドイツの武器がメキシコに流され、利用され人が殺害された実事件から、
   フィクションテレビ映画「Meister des Todes」を作ったそう。
   それがメキシコ国内でロケされ、メキシコでは「ラブストーリーのロケよ」と
   いうことにしなければ、やはり怖かった・・・なんて刺激的な
   番組宣伝をされておりました。書いたままアップしていなかった、この
   記事なので、ずいぶん前の話ですみません。

   最近、やはり「人間お金」なのか・・・と思ったのは
   難民受け入れでの経済効果はプラスなんだそうです。
   いいことです。いいことですが、数字で動いていいのでしょうか。
   人の心がどんどん乾いても。
   

    DSC_0015 (1)
       備前/讃岐の人たちには、大切な うどん。
   

無人から満員


信じられないだろうな~~、うちの田舎では、ほとんど無人だった電車にカラー満載の人たちがわんさかな満員電車状況。難民の受け入れについてドイツで受ける印象は人それぞれだと思うけれど、近く学校教員2万人増員・応募するという話。若い世代への早めのドイツ語・ドイツ文化教育ということでしょう。移民政策で得た成果が活かされている。それでも≪文化が変わる≫ことをドイツ人はどう思っているのでしょうか。

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    ドイツ北部上空。雲の無い青空は珍しいよね。 

文化が変わってしまうだろう・・・・。なんて、ドえらいことだと思います。主観だらけで勝手なことを書けば、私自身としてはドイツ人ではないので、その移行やもがきや流れを目の前でじっくり見てみたいという好奇心でいっぱいです。面白がってはいません。半ば壮大すぎて唖然としています。民族大移動ってこういうことなのか・・・と。


 教えて頂きました。ありがとう。
 サントゴッタルドの国境トンネルは、二本目は掘ってあるのだそうです。
 救助などで使われるけれども、交通使用はされないんだとか。
 知りませんでした。私記事にも追記しておきますね。
 今の日本を想うと 「NEIN!が通る国」 って、貴重だな~なんて
 ちらっと思ったりして・・・。

しんてんち


  日中はカーデガンを羽織るくらいだけれど、
  西日本出身の私にとっては、朝晩はもうかなり寒くて凍えるドイツ。
  テレビで連日流されている難民の大量流入や国境規制の話題。
  国境で足止めされ、施設に入れず駅で寝ている人たちの映像。
  あまりに大量の難民が押し寄せ、ドイツ側の手配にも
  限度がきている。


  うちの近くには難民施設があります。そこは長期で住めるところではなく
難民として受け入れすべきかどうか、審査され許可が下りるまで居られる場所。
フェンスで囲まれていますが、出入り自由。簡易施設というよりは難民キャンプ。
  道路からは、OASEと大きく書かれた巨大テントが見えます。
  子ども達が遊んでいたり、カフェテリアのように集える場所に
  なっている。OASEとは、オアシスのこと。
  新天地がオアシスになること、一人ひとりにとって希望や夢が
  実現することを願わずにいられません。

  ここで、こんなに様々な人を見ていると、数十年後には
  国 という塊がなくなっていくのかもなぁ・・・と感じます。
  日本は鎖国しておいたほうがいい、と、エゴな私が囁きます。
  でもいつかは、世界中の小国の壁がなくなっていくんだなと
  感じます。それでいいんだろうな。
  

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     ピザなんてどこも同じなんて思っていたけれど
    イタリアで食べると美味しかった。気分的なもの??


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  期待なく訪れた北イタリアでしたが、「トスカーナ」や「シチリア」のような
     観光名所ブランドでなくても、いいよね~。

      

あんたい


移民と難民は違うんだけれど、私自身、何なんだろうと思う今日この頃。

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  これ、オリーブの枝スティックです。説明がしにくいのですが。
  枝の途中の水分補給でも芽が出てくるものなのですね。


難民の方々を実際に目の前にしています。買い物や電車の中や市内でも接する機会が増え、私自身が難民に見られているな、と感じる生活で、ドイツってすごい国だなぁと再確認したり、

と思っていると、うちの郵便受けには、めっちゃみぎ寄りの方からの難民政策反対のこわ~いビラが入っていて、ぞぞぞ~としたり・・・。

欧州の難民政策。当事国は揺れています。

平和ってなんなんでしょう。自分の平和しか考えられない私は、少しの世間の変化にも振り回される。国や国民の平和から、世界の平和に視点や政策が移行、平和主義とは何なのか、後手で必死に考え中。動揺しています。

安泰ってなんなのでしょう。平穏ってなんなのでしょう。

 うさぎの母さま Lakmeさま
 コメントをありがとうございます!応対が遅くいつも失礼しております、お元気ですか!

むうみんから


     スナフキンの名言
    
    なんでも自分のものにして、持って帰ろうとすると
    難しいものなんだよ。
    ぼくは見るだけにしているんだ。
  
    そして立ち去る時は、それを頭の中へ
    しまっておくのさ。
    ぼくはそれで、かばんを持ち歩くよりも
    ずっと楽しいね。

 
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       地方のマンドリン協会さんの40周年記念パーティ
        息子所属のギタークラブ演奏。

      
     国際交流を通してよく思うのは
     A国でよいと思った所を、B国には当てはめない方がいい。
     非難対象として、持ち歩かなくてもいい。 
     スナフキンの言葉にすると、自分のものになっていないのに
     持って帰ろうとしても難しい、という風に取れる。

     その国で、そこの場所で、そこの人たちの間で
     だから、成り立っている素敵なことを
     自分の環境で、成り立たせようなんてエゴではないのかな。
     
     重いかばんを引きずって歩くのを
     私もやめよう・・・・と思った。
                     
     

じゅ2


前回投稿の続き(又聞き分をまとめてみると)。----

自分とはすでに在るもので、「自分探しの旅」で自分の中身を探しても、そこでえこひいきした自分を見つけるなら、そこに意味はない。それよりは今どこにいるのかさえわかっていない自分の立ち位置を確認したほうがよい。関わりの中に在るのが自分。そこで自分という壁を構築するという話につながる。地図内の自分の現在位置が大切。自分=世界だと思わないこと。世界の中の1点、記号である。実際の世の中で働いてみた場合、自分の能力云々ではなく、関わりが大切なことに気づく。関わることで請負う役割、役割を担うこと、何に責任を持つか、そこに自分がある。仕事は自分の壁の外にあるもので、自分に合うものや自分発信での社会を考えることは日本人には合わないので困る・・・

といった鉄矢さんの解釈でした。

あと、この「自意識」と「死生観」の関係。自分が死んだら・・という発想の違いも分かりやすく話されています。命の大事さを子どもに教えること、(これは親の義務でしょうね)自分の命は自分のものかどうか、そこも考える必要がある。苛められると自分を追い込む日本人と、苛められると他人を攻撃する欧米人の違いなんて話は、「その通りです。」と頷くしかない。


自分のことに置き換えると、ここの暮らしで外界・相手(日本人ではない人たち)が違うと、自分も違ってくるので、欧米暮らしの「自」になるかと思いきや、そうなれない自分に戸惑い、と思いきや、順応し演じている自分に戸惑い、右往左往しているといった感じでしょうか。みんなどのように折り合いをつけているんだろう。

おんどさ

 芍薬の季節です  IMG_2775.jpg

スイスが世界一幸福度の高い国という発表を聞きました。続いてアイスランド、3位にデンマーク、北欧やカナダが続きます。

 ドイツ26位     日本46位

 あららら。

条件は国連が決めたものだから、目安ということなんだろうけれども・・・。幸福度の高い国に国際ボランティアを送る幸福度の低い国。あれブータンは・・・?!。色々と疑問がわいてしまう。

話がそれるけれど、経済状態や福祉など大切なことなんだけれども、静かに誰の邪魔もなく自然に囲まれて暮らすこと、いや都会でわいわい人と戯れることが幸せという人たち、贅沢品は手が届かないという前提で少なく小さく暮らすこと、いやお金あってこそ幸せな人、ハーモニーではなく個を大切にする人たち、個よりもみ~んなの笑顔で幸せになる人たち、目新しいわくわくが幸せと感じたり、伝統の中に生きている幸せ、人・物・動物・自然・仕事と共有する時間や空間に幸せを感じる人たち、幸せを数値にする事なんてナンセンスなのかも・・・


ふしめ


細く長く通っていたカウンセリングに終止符を打ちました。私の中の峠を越し、あとは体力ならぬ心力がついてきたので、もう潮時かと。

整理することと付き添ってもらうことと誤解や思い込みの記憶の差し替えや自分が苦手とする分野を手伝ってもらいながら、微量の努力や新住居環境など、タイミングや時間にも助けられたのかな。一つだけ、カウンセラーの先生には、託すことができない、私の中の疑問が生まれ、「もう、やめたい」と切り出しました。


話してきた内容は、「感謝しているし、少し免疫力もつけてくれたと思うけれども、体質改善までは、甘えているかな~、ここからは相談相手が違うんだな~と分かった。」 ということ。

話していない内容は、「毎日の外国人の異国暮らしがどんなものなのか、自国にいるドイツ人の彼女には絶対にわからないことが、わかった。」ということ。これを言っても仕方が無いんだな。

彼女も「もう大丈夫!」とにっこり。私自身も「もう大丈夫!」とにっこり。
当時受け止め切れなかった悲しみは通常の生活をしながらでも受け止められる大事な傷にかわっていったというのかな・・・。

多くを求めても仕方が無いけれど、古風なカウンセリングに落胆したことも否めない。そして生活や習慣の違いまで理解しようとはしてくれなかったし、彼女にそれを求めるつもりは無いかな・・・とも自分の中で決着が付いた。私自身もすぐに何もかも解決しようとは思わないし、これからも毎日の出来事があるわけだし、悩まなくてもいいけれど、悩むことだろうし、それを相談するのは別の機関なんだろうね。

なあぜんねえべん

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  夫や息子からもらうのか、ちょっとの隙に外でもらうのか
  ウイルス性の風邪を引きまくっております。

  今回は 副鼻腔炎を煩い顔面痛に頭痛に歯痛に
  顔の回りは痛いのね。久しぶりに「病人の気持ち」って気がした。

  ドイツ語で なーぜんねーべんひょォれ えんつんどぅんぐ。
  お医者に行くと即効、抗生物質を処方してくれた。
  日本のWebでも「抗生物質で治さないとしんどいぜ」な書き込みばかり。
  はい。なんでも服用したいほど今回は痛い。

  主人宅の家庭療法、辛子粉の足浴と、鼻うがい で鼻水対策。
  
  まだ寒いんです・・・・ドイツ。

  食欲もなく何も食べられない。(でも飯炊き母業に病欠なし
  友人にお奨めされた(ドイツにもあります)ヤクルト。
  アクティメルとアクティバ? とりあえず数種の腸内細菌を入れて
  寝ます。
   

しゅーあいえー


  靴チェックにうるさく、目を光らせている人
  人格まで分析するように、靴を見てる人のことを、

  しーあいえー  をもじった しゅーあいえー

  だって。 ドイツ人もオモシロイこと考えるなぁ。

   あますぎたぁ・・・・・・・  IMG_2716.jpg


  子どもの会話に多いそうです、ブランド物でないと、馬鹿にする空気。
  着ている物から持っているもの、親の給料まで・・・・・
  
  「競争社会」に疲れている子どもも、とーーっても多いと教師の
  友人から聞いた。頑張らなくてもいいという詞を書いた教師もいる。
  かと思えば「うちはエリート校、勝ち組だ」だと演説し大ひんしゅくをかった
  学校長もいる。
  
  こういう権威ある人の鶴の一声でその場にいる人たちが
  右習えする場面を幾度も見てきたから辟易する。
  
  「物」というのは、よく見えるから。
  「見える物の価値」で自己完結する人たちの世界では
  それが普通、当たり前なんだと思う。
  見えない物を想像することもしないんだと思う。  
 
  肌の色 ってブランドを言いたがる人たちも
  たくさんいるここの社会だもの・・子どもが疲れるのもよくわかる。 

るばるぶ/てきし

 
ドイツ語で言うと 「らばるば~」 音な感じのルバーブがそろそろ出てきたので、クラフティを作ってみた。もちろんフランス風レシピ。だははは。


     IMG_2670.jpg


     うちの近くの町では、殺害されたユダヤ町民の名前を刻んだ石畳など
     碑という形で、お詫びや反省、戦後認識を深めているのだけれど
     近くの村ではアンチセミティスト(反ユダヤ主義)による犯罪計画など
     毎日のニュースを聞いていると、何がどうなんだろうと
     不思議になる。

     単一民族で近所中黒い髪で黒い目の日本人には
     理解しがたいものなのかな・・・私の平和ボケか。

     ラジオのインタビューで容疑者の近くの住民が
     「こんな傍に-Feind敵-がいたなんて、恐ろしいわ。」と答えてた。
     出た・・・・ 「敵」。 

     隣人同士の諍いも多いここで、なぜ、人は
     こんなにも誰かのことを話し敵視したがるのか、と社会学者に聞いてみたら
     「人間は社会規範を守ろうと努める性質がある。」と答えてくれた。
     
     ドイツ人には秀でている才能か・・・・

     だからって、「訴えてやる」につながる人たちと
     暮らしていると、きゅうきゅうしてくる。
     
     「攻撃に対して防御出来ない性格だから、気をつけようね。」と
     話してくれる人もいるんだけど、こうやっておしゃべりして
     他愛無い時間を過ごしていくのが大切ってことなんだろうな・・・
     コミュニティーにつながるのか・・・敵視されないために???

   IMG_2678.jpg

わいわい


   温かくなったり寒くなったり
   春の花々がわいわい咲き乱れています。
   
   
  わいわいがやがや IMG_2700.jpg

   
    
    人との付き合いで、
    それぞれがいろんな思いや考えや
    悩みやキャラや、次から次へと
    新情報が飛び交い、交錯していて、
    ふと、酔ってしまうくらいに
    にぎやか。
    
    春って そういうもの??
  
      

あっぷへんぎっく


とても近しい人となんだかとうまくいかない・・・という悩みがあったら、こういう可能性も?「依存的敵意」それに「加藤諦三」というワードで検索してみて下さい。高校以来、加藤諦三さんにはお世話になっています。思春期のころ支えていただいた・・あ、本でね。その頃から、こういう方面や分野に興味があり、私自身の悩みではなくても気になった心理状態は関係の有無なく調べてしまう癖が・・・。

    嗚呼 あまい~~   IMG_2399.jpg

敵意を抱いても離れられない関係というものは何なんだろう、私には無い感情なので興味を抱きました。どうしようもなく相手が嫌だったら自分からそーっと離れちゃえば?と思うのですが、この心理は「嫌い」だけど「離れられない」つまり「依存」だそうです。精神的な依存というのはややこしいものらしい。理解出来るかどうかわかりませんが理解したい。

     IMG_2464.jpg


 怒りの中でもっとも処理し難いものが、依存的敵意。
 依存している人への欲求が満たされない時の怒り。
 時と共に消える怒りと消えないものがあり、 
 消えない怒りは自分自身の依存心の強さを自覚したほうがよい。 
 依存心の強い人は味方にさえ、敵意を抱く。その敵意は消えません。
 相手が何をしても許しません。身体・心理的に攻撃し続けます。 
 原因はその人の依存心です。嫌いと淋しいの違いを認識すべき。
   --加藤諦三氏のテレホン人生相談の言葉より--
 



  敵意と言ってしまうと大きな悩みになっちゃうけれど
  「不機嫌」や「甘え」というワードでは思い当たる節があるかな・・・
  親子、夫婦、恋人、親族、同僚・・・どの関係にも芽生える心理。
  礼節をわきまえて、家族と接するという土台を子どもに作って
  おかなくちゃならないんだなぁと自分に置き換えてシミュレーション。
  

あむと

 あうすれんだーあむと   とは外国人局と訳すのでせうか?
 久しぶりに行ってきました・・・。 移民局。
 日本のパスポートを更新すると永住ヴィザ証も更新しなくちゃならない。
 永住ヴィザ(カードになっているので、フィンガーアップドリュックは
 とられたけれど、持ち歩ける。)60ユーロなり。ベルリンでカード発行されて
 またうちの町のお役所に出向いて受け取ったら終了。
 十年に一度の節目とみてもいいかもしれない。

000000000c_20150225062525f8e.jpg
     陽が長くなってきましたね。朝7時でこの明るさ。


 パリとかミュンヘンとかに住んでいた時
 しんどい思いをいっぱいしたけれど、強かったなぁ 私・・と思う。
 ファイルを損失され、私は知る由も無く労働していたので、いつのまにか
 不法労働で宙ぶらりんになり、不法滞在を疑う厳しい手紙が送られてきたり。
 役所同士の連絡ミスで、引越し先の新しい局がヴィザを無効にしかけたり、 
 まさか役所がミス(会社が「訴えるぞ」とドイツ的対応にも発展)
 をすることがあるなんて、疑わず怒らずに穏便にきた私だけれど
 怒る人は報道機関に訴えているので、新聞記事に驚きのミスを時々読む。
 土壌が違うなぁ・・とよく思う。最近も 普通の引越しの住民登録の移しで、
 ミスがあり、強制送還させられそうになった家族が訴えた。・・・・参るよ。


 雪合戦 000000000d_20150225062526749.jpg 最後は泣かされる息子。こら父親!!
                  


 日本ブランドに守られて、文句は言えないけれど、まだまだ関所があるし
 通行・旅手形がいる時代なので、まだまだ余所者は余所者なんだと思う。
 それでもいいんだけれどね。 

しずかなひと

         しーーーーーん (沈黙)

          という言葉もある   
       
      だれだっけ・・吉本隆明氏の思想系?哲学?
      ちょっと違うか・・・

000000000b_20150224161013e46.jpg

  
       思いすぎて何も言えなくなることもある


      思ったことを相手に配慮して、伝える言葉を見つけるまで
      つい伝え方の道を間違えたり、迷って違う出口から出てしまったり   
      誰かを巻き込んで一緒に違う方向へ行ってしまったり・・・・      


      000000000a_20150224060546fba.jpg
 
      
         だから考えすぎて、何も話せなくなる。  

        口と頭をつなぐ神経の運動音痴 

            当たり~~


       ・・・・・・・・・・・・・・・・

刑務所で、触発され、勧誘されイージス(いすらむ国)へ行ってしまう若者が多いという話をラジオで聞きましたが・・・残念な話なのだ・・・。構造は日本のそれと同じ。鉄格子の中でお友達になり、「良い話」と持ちかけられてしまう。

刑務所・・・・予備軍かと話される(レッテル貼りはいけないけれど)少年少女たちの話。腹が立ったから瀕死の重傷暴行、スクールバスの運転手や警察と口喧嘩になり暴行、女生徒暴漢、万引き、空き巣。親のネグレクト、薬中、アル中・・・。胸の痛い話はゴロゴロある。更生話だってゴロゴロある。ドイツではいま、子供のインクルージョン教育という動きがある。みんな同じ環境、同じ教室で過ごすという方向。一時、子供各自個別のニーズに合った教育環境で特別個別指導教育をと分けた結果、子供同士で触れ合えないグループ同士の壁や階層の差が出来てしまった。弱者を守るための制度が、より孤立させてしまう制度になったという反省から。イージスへ行かないほうがいいと思わせてくれる人間関係、そう言ってくれる友達に出会えない若者がいるということか。


複雑で難しい問題で、
見ている限りでは何よりも乳幼児親子教育に力を入れないととも思う。

とうざいよう

谷崎潤一郎 「陰翳礼賛」より・・・

もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、ということを常に考えさせられるのである。例えば、われわれがわれわれ独自の物理学を有し、科学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自ずから別様の発展を遂げ、日用品百般の機械でも、薬品でも、工藝品でも、もっとわれわれの国民性に合致するような物が生まれてはいなかったであろうか。いや、恐らくは、物理学そのもの、科学そのものの原理さえも、西洋人の見方とは違った見方をし、光線とか、電気とか、原子とかの本質や性能についても、今われわれが教えられているようなものとは、異なった姿を露呈していたかも知れないと思われる。私にはそういう学理的なことは分からないからただぼんやりとそんな想像を逞しゅうするだけであるが、しかし、少なくとも実用方面の発明が独創的の方向を辿っていたとしたならば、衣食住の様式は勿論のこと、引いてはわれらの政治や、宗教や、藝術や、実業などの形態にもそれが広汎な影響を及ぼさない筈はなく、東洋は東洋で別箇の乾坤を打開したであろうことは、容易に推測し得られるのである。

中略

 そう云うことを考えるのは小説家の空想であって、もはや今日になってしまった以上、もう一度逆戻りをしてやり直す訳に行かないことは分りきっている。だから私の云うことは、今更不可能事を願い、愚痴をこぼすのに過ぎないのであるが、愚痴は愚痴として、とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろいろな故障や不便が起っていると思われる。尤もわれわれを放っておいたら、五百年前も今日も物質的には大した進展をしていなかったかも知れない。現に支那や印度の田舎へ行けば、お釈迦様や孔子様の時代とあまり変らない生活をしているでもあろう。だがそれにしても自分たちの性に合った方向だけは取ってていたであろう。そして緩慢にではあるが、いくらかずつの進歩をつゞけて、いつかは今日の電車や飛行機やラジオに代るもの、それは他人の借り物でない、ほんとうに自分たちに都合のいゝ文明の利器を発見する日が来なかったとは限るまい。早い話が、映画を見ても、アメリカのものと、佛蘭西(フランス)や独逸(ドイツ)のものとは、陰翳や、色調の工合が違っている。演技とか脚色とかは別にして、写真面だけで、何処かに国民性の差異が出ている。同一の機械や薬品やフィルムを使ってもなおかつそうなのであるから、われわれに固有の写真術があったら、どんなにわれわれの皮膚や容貌や気候風土に適したものであったかと思う。蓄音器やラジオにしても、もしわれわれが発明したなら、もっとわれわれの声や音楽の特長を生かすようなものが出来たであろう。元来われわれの音楽は、控え目なものであり、気分本位のものであるから、レコードにしたり、拡声器で大きくしたりしたのでは、大半の魅力が失われる。話術にしてもわれわれの方のは声が小さく、言葉数が少く、そうして何よりも「間」が大切なのであるが、機械にかけたら「間」は完全に死んでしまう。そこでわれわれは、機械に迎合するように、却ってわれわれの藝術自体を歪めて行く。西洋人の方は、もともと自分たちの間で発達させた機械であるから、彼等の藝術に都合がいゝように出来ているのは当り前である。そう云う点で、われわれは実にいろいろの損をしていると考えられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本を読んだきっかけは、欧州の建築科の学生の間でこの本が人気という話を聞いてなのです。知らなければ恥ずかしいなと思い、この年でようやく・・・。

物質的な欲でぶっちぎりで突っ走ってきた西洋は、今は心の時代なのかな・・・。心を大事にしてきた東洋に自然と興味がいくのかな・・と思うことがある。うーん、そうであって欲しい私の願望かな。

今となっては、こう進んでいる流れに身を任せるしかないのだけれど、うつろひゆく世に流れ流されながらも独自性(レアな価値観)を保つ日本は、やはり美しい国だなぁなんて遠くから想ったりして。大事にしなきゃいけないこと、日本の心は変わらないでいて欲しいなと・・また願望なのかな。


ほんやくこんにゃく

       
         人類皆兄弟   懐かしい言葉

       0000000b_2015020616060090d.jpg
 
   
    「人には優しく」「人に思いやりを」、それじゃ通じない、
    相手も変わらない、なんて悩んだけれど、自分の蓋を開けて
    びっくり。自分が優しくして欲しいだけだった。
    「それを言わないで下さい、それで私は傷つくから」
    と言えば済むことだった。


       0000000a_201502061605582ab.jpg

                 
    他言語を日常生活で使い出して、何が心地いいかって、
    何の気なく使う日本語の裏に隠れている自分の本心が
    翻訳できてきたこと。私自身にお抱え内外界通訳者がついた。
     
    言葉  って深いね。

    自分で自己暗示をかけることもあるから
    自分が発する言葉には気をつけた方がいいんだなぁ・・と。
  
  

かんじょう

後藤さんの笑顔画像を多く見つけます。
そうですね、あちらのゲームに参加しないことは大切。

「積極的平和主義」という言葉は「どれいもん・米奴隷 の どこでもドア・派兵」を巧妙に包み込んだ言葉だとアーサービナード氏。ペテンタゴンの飼育犬政府。憎まれ警察の役割りはアメリカがやっているので、厚生省、文科省あたりの役割をするのはどうでしょう・・・。これ出来ないことではなさそう。難民を受け入れない政府が「人道支援」なんて・・と恥じているのです。これ島外の常識。


さて話はとびまくり・・・・
『私』を失いそうな時、『あなたの知っている情報や常識や表現方法やコミュニケーションが全く違う世界というものが、あったらどうする?』 相手の軸を揺すってみるのもいいかもしれない。

違いに反応するのが本能で、それが恐怖心になると、先攻という攻撃性に出るのも本能らしい。恐怖と向き合うこと。怒りをプラスの燃料にすること・・・次の動画でこれを教えてくれます。15分ほどなのでお時間のある時に立ち寄ってみてね。


平和活動家のこの方、シーラ・エルワージー女史の生き方、活動。私自身のテーマでもある「教育」、そして子供達の発達や暴力問題を見ていて、傍で感じること、それらをうまく言葉に紡いでおられます。
 シーラ・エルワージー 非暴力で戦う方法

手に負えないとき

日本人に生まれて、こんなに幸せなことはないけれど、
日本人国籍が要らないかもと発想したのは初めて。
私にしては過激だな・・簡単にこんなことは書けません。


今の日本はどこに行こうとしているの?空気を読んで、周囲に流されて、出来もしない、元来関係も無い西の泥沼国際関係に巻き込まれた。安倍さんの政治責任の重さを考えて欲しい。マッチョおじさんたちの抑圧に日本国民は道連れにされていることに憤りを感じる。平和の解釈が浅い政府だと確認ができた。


もちろん人質解放に向けての努力は非難しない。
ただ、この政府に国際問題は、手に負えない。
手に負えないことを自覚し、退散・・・  どろん。


日本の平和な暮らしに対し、危険や残酷な世界の存在は承知しているつもり。そんなこと、在外邦人はわかっている。小さな個人レベルの戦争なんて日常になっている暮らしを見ていると出来る事と出来ない事、綺麗ごととそうじゃないことが嫌でもわかってくる。でもわかっていない浅いオジサンたちの迷言で迷惑を被るのも私たちだから。

後藤さんのご家族の心痛を遠くから思っています。

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太陽が大好き、子供も大好き、のんびり暮らしています。

Nana ナナ

Author:Nana ナナ
「ドイツ永住予定日本人」こんな新種を発見された方、是非ここで遊んでってくださいな♪カテゴリーをご覧下さい。貴方の興味のある事柄が見つかるかも。☆☆☆☆☆☆☆

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