スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

共生・自分の勘違い

友だちに「そうよねーーーー」と言ってもらう安心感はすごく大事だと思うのだけれど、それだけじゃないって、根底では自分もわかっていて、ただむやみに「でもね!そうじゃなくて!」と言わない友人らの寛大さに支えられていること、いつもあり難いと思っています。


それを、でも世界中の人々に求める私は、ただのエゴイストなのかも。

カウンセラーの先生のところで、毎週の疑問や不安、納得がいかないことを話してて、ある時、ふと、先生さえも何にも助けてはくれないのに、こんな治療ってあるのかしら?と。

その時、どっと疲れがきて、先生に会うなり
「もう(生きるのに/考えるのに)疲れて・・」と頭をうなだれた。

先生は真剣な顔で身を乗り出して、「何かあったの」と。


私も素直に自分に「何があったんだっけ?」と問い
また、身近なことからぽろぽろと話し始めました。

このポロポロな話から得たのは、根本的・抜本的な自分改革ではなく、その場の判断がわからない不安な自分が方針を持ち、覚悟を持つこと。言葉にしてみるとわかる自分のやり方と相手のやり方の違い。それを表面的な良い悪いで判断したくないのに時間的余裕の無さで言葉にする前に感情で処理してしまいがちな人間関係。わかっちゃいるけれどどうしていいかわからなくて・・疲れた。

なんで社会はこうなのか? なんで他人はこうなのか?
なんて悩むのは「猿知恵」なんだと最近つくづく思う。
悩むことじゃなくて、「社会ルールが守れていないよ」ということだけで
感情とか人格とかそこを混ぜちゃいけないんだな・・・
即座に対応できる私ではないから、そこの判断でつい頭を抱えるんだけど。

内田樹氏の「街場の現代思想(p227)」より
逆説的に聞こえるかもしれないけれど、私たちが共同的に生きることが出来る人間というのは、私のことをすみずみまで理解し共感してくれる人間ではなく、私のことを理解も出来ないし、私の言動に共感も出来ないけれど、それでも「私はあなたの味方だよ」と言ってくれる人間のことなのである。

そっか・・・・。

いま、ドイツではサッカー関連での人種差別問題がしきりに討論されています。あまりにも差別語が飛び交う、下劣な応援に、国が「それはダメ」との待ったをかけた。どうやったら(品が)良くなるのか?という話し合いは、聞いていて参考になることが多いけれど、「所詮、国民の言葉の使い方・国語意識がこうなんだから」という私の意地悪な見方では、ドイツ国民から「オマエはロイヤルファミリーか?」と突っ込みを受けそう。階層で言葉使いが違うということと人種差別は短絡的な結びつきではないかもしれないけれど、少し考えてもみて欲しいと外国人の私はよく思う。まぁ・・日本人がまずマンガやゲームに「しね」と書かない推進運動をしなきゃいけないと反論されるかもな。言葉もルール作りなのかな・・・。

関連記事
スポンサーサイト
sidetitleプロフィールsidetitle
太陽が大好き、子供も大好き、のんびり暮らしています。

Nana ナナ

Author:Nana ナナ
「ドイツ永住予定日本人」こんな新種を発見された方、是非ここで遊んでってくださいな♪カテゴリーをご覧下さい。貴方の興味のある事柄が見つかるかも。☆☆☆☆☆☆☆

sidetitleフォトギャラリーsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle最新記事sidetitle
sidetitleご訪問ありがとう!sidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleブロとも一覧sidetitle
sidetitleカテゴリーsidetitle
sidetitleダジャレ図鑑sidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleFC2ブログランキングsidetitle
ここをポチっとおねがいします!

FC2Blog Ranking

sidetitleQRコードsidetitle
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。